Skills
Experience
少し長文になりますがバックストーリーをどうぞ。
今でこそ知名度はありますが、沖縄県の宮古島という離島で18歳まで過ごしました。
高校を卒業してからはすぐに東京の某大手運送会社に入社をした。過酷な労働でサービス残業は当たり前と一年と持たずに退社。
それからは、東京で22歳まで特にやりたいことが見つからず生きるためだけに働いてお金を稼ぐという生活を送り、程なくして地元の宮古島に戻る。
27歳の時、建築現場のただの作業員として働いていた頃、本屋さんで手に取った今では嘘みたいな本のタイトル「パソコン1つで月収○○万円!!」を手に取り購入(笑)。その頃はホントに情報弱者だったとな回想…。
でも、ある意味それが現在のエンジニアとして活動することになったきっかけだと思う。
まずはパソコンが無いと始まらないので、ヤマダ電機の光回線申し込みでノートパソコンが500円という破格だったので申し込み、無事パソコンゲット。
その数か月後、舞台を愛知県に移し、期間工として工場で夜勤、昼勤と働く。
それからパソコン教室のアビバに通い、教室でブラインドタッチタイピングを練習。
ん?タイピングだけやって月額数万円払うのおかしくないか?と思い、1カ月で教室を後にする。タイピングなんて家でも出来るからね。
それからは、ウェブ制作に興味を持つようになり、HTML,CSSから勉強。
IT業界の登竜門的な資格、「ITパスポート」を取得。
それからは工場を辞めて、職業訓練校に入校しWEB制作関連のコースを受講。
3カ月ほどのコースを無事卒業し、訓練校を実施していた民間企業はSES事業も行っている会社だったこともあり、そのまま中途採用してくれた、ここが僕の駆け出しエンジニアとしてのスタートだった。その時点でもう29歳になっていた。
入社時期が3月ということもあり、新卒採用も行っていたので、新卒の子たちと同期として入社することになった。20~22歳くらいの子たちと29歳の僕…。変な感覚でした(笑)
愛知県でIT関連事業を行ってる企業の組合があるんだが、それらすべての企業で新卒採用された新人の方たち総勢40名ほどと合同研修を3カ月行うことになり、上記で記した通り、20~22歳くらいの子たちと29歳という構図の研修が始まった…。これがホントにホントに辛かった。地獄だった。
彼らは既にプログラミングを専門学校、大学などで学んでおり、たかがHTML,CSS程度を勉強したスクール卒の僕とは断然にスキルも学歴も違う、ましてや若いこともあり吸収する速度も明らかに違う。
このレッテルが研修期間ずっと付きまとっていた。何とかしがみつきながら研修は無事?終了。
入社した会社の社長はそんな僕の置かれた状況を知っているからか研修生みんなの前でいじってきた。悔しかったけど何も言えなかった。
その社長は、僕にこう言った。「お前は[ドラゴン桜]の漫画を全部見ろ」と。
数か月後、僕は面談で案件を獲得できず、社内にいることが辛くなり退社することになる。「自分にはこの業界は向いていなかった。」と痛感した。
さすがに無職はいけないので知り合いの紹介でペンキ屋さんに就職した。
半年ほど経った頃に前職の会社の社長が急死した。前職の同期によると「クモ膜下出血」との事だった。鬼のような社長だったんだけど、いとも簡単に人って死ぬんだな。と思うと同時に僕をいじったり、「お前は[ドラゴン桜]の漫画を全部見ろ」の意味が分かってきた。「僕を奮い立たせるためだったんだ。」と。
心の中で「社長、ありがとう。」と呟いた。
それから一年ほどペンキ屋さんで働いた後、沖縄に戻ることにした。
やっぱりエンジニアの夢が諦めきれなかった僕は、沖縄のSES会社に就職する。
5年間の客先常駐を経てフリーランスへ転身。
2022年4月1日~現在に至る。