WRITING THEME
密着記事から、食にまつわる情景を描き出す。
scene1
国分牧場のとある一日。
約120頭の肉用牛が飼育されている
埼玉県松山市にある一件の小さな畜産農家。
食べた人たちが、笑顔になれるような、
安心で安全、そしておいしい牛肉をつくるため
3人の生産者が毎日、牛たち1頭1頭と向かい合い
丁寧に、手間暇かけて育て上げていた。
私たちの食卓に届く前に繰り広げられている
人と牛たちによる、お肉にまつわる一欠片のストーリー。
大きな牛は小気者。
「牛の目を見ないでください」。
国分牧場代表の國分唯史さんから注意されたのは、この1点だけだった。小さいもので300㎏、大きいものだと800㎏以上。人間の数倍~数十倍はある大きな動物を前に、怖さと不安が募ってくる。まずは、簡易的にでも牛との接し方についてのルールブックをつくらないと、ろくに近寄ることすらできない。そう思った。そのためにも、“絶対にやってはいけない”禁止事項を聞いて、頭に書き留めておきたかった。しかし、返ってきた答えは一言。「牛の目を見るな」ただそれだけだった。
埼玉県松山市にある国分牧場では、ホルスタイン種を中心に約130頭の牛が飼育されている。月に1度、約10頭の牛が入荷と出荷を経て入れ替わる。そして、この日は出荷日。仕上がった牛10頭が、屠殺場へ出荷されていく。
午前7時30分、1回目の出荷のタイミング。2tくらいの大きさだろうか、牧場に1台のトラックが着いた。ここに積み込まれるのは、あらかじめ用意されていた800㎏以上の牛5頭。牧場長の岡田さんが、それらを連れてくる。1頭、1頭順番に、体重を計ってトラックへ。この時に「目を見るな」という言葉の意味を理解できた。どっしりとした体格に似合わず、牛は臆病な生き物なのだ。トラックに入るのを躊躇する牛、いつもと違う状況に低い地鳴りのような鳴き声をあげて騒ぐ牛など、牧場の空気がどんどん慌ただしくなっていく。その空気を感じてか、さらに不安の鳴き声を上げるものまでいた。牛がトラックへ向かう途中、目の前に人が立つと、一歩も動かなくなる。そして、目が合うと怖気付くのか、その場から引き返そうとする。
「牛は本来臆病者」。その言葉が表すように、1頭の牛を出荷するのに数十分以上費やすこともあるようだ。國府さんが言った「牛の目を見るな」は、出荷のときに当てはまる言葉だったのだ。
畜産農家での一体験。
1回目の出荷が済むと、掃除とエサやりを開始する。その間も牛の「モォー」という鳴き声は止むことがない。今度は、お腹が空いたという主張をしているようだ。
給餌は1日1回。朝のうちに、全頭分のエサを与える。国分牧場では、稲藁、ビール粕、配合飼料の3種類をそれぞれの小屋に適量だけを用意する。「常時、山もりに置いていても食べようとしません。牛の様子を見ながら、翌朝にはなくなる量を計算して給餌します」と岡田さん。
1頭がこの牧場にいる期間は13~15ヶ月。だいたい300㎏だった体重を、約1年間で800㎏以上まで増やす。牛のリズムを考えて、エサを食べたくなる環境を整備しておく。これが、生産者にとって重要な仕事のひとつだ。
昨日分の残ったわずかなエサを枝箒でかき分けていると、牛たちが小屋の隙間から顔を出し、口をモゴモゴさせてくる。枝箒を食べようとしているのか、長い舌を突き出してくる牛もいた。これはエサじゃないのに……。そんなことを考えながらお構いなしに掃き続けていると、1頭の口にザクッと箒が突き刺さった。「あっ」と心配になったが、牛はなに食わぬ表情。良かったと、ほっと安堵。
掃除を終えて、3種類のエサをそれぞれ手作業で分け与えていると、2回目の集荷が。時刻は10時30分、3時間かけて、先ほどのトラックが返ってきたのだ。
1頭また1頭と、アクシデントもなく今回も5頭の牛が、トラックに乗り込んでいった。「おいしいお肉になるんだよ」そんな風に牧場の人たちと一緒にトラックを見送る。牧場内に残った牛は、今回も少しだけ慌ただしく地鳴りのような鳴き声を響かせていた。
INTERVIEW
元気な牛たちが、私たちの自慢です。
多頭飼育に舵をきり、機械化を進める畜産農家が多い昨今。そんな時代に逆流するかのように、国分牧場は手作業を重視した小規模飼育を続けている。
「私たちは、安心で安全、そしておいしい牛肉をお客様に届けることを、第一に考えています。そのためにも、健康な牛を育てる今の飼育法が一番なんです」と代表の國分さん。また、牧場長の岡田さんは言う「牛肉の味の質は、エサや環境に大きく作用されます。エサには、成長を促す抗生剤を一切使わず、穀物を中心としたものを与えています。そして、体調管理に気をかけながら、1頭1頭ストレスのない環境をつくることも大切にしています。牛のリズムに合わせて胃袋から育てる。健康な牛にはそれが重要です」。確かに、国分牧場の牛は、小屋のなかで飛び跳ねるように駆け回る。健康だからこそ、赤身のおいしい牛肉が仕上がるのだ。
また、国分牧場のみなさんは「うちの牛肉が一番おいしい。初めの一口を食べるきっかけさえあれば、その味に満足してもらえるはず」と胸を張る。
【担当業務】
・取材
・原稿作成