#26『裸足で散歩』
弦巻楽団10周年記念第1弾。1963年に初演されたアメリカの喜劇作家、ニール・サイモンの初期の名作ロマンティック・コメディを、演出家・青井陽治氏による新しい翻訳で上演。
作品について
冬のニューヨーク。エレベーターもないアパートの6階で新婚生活を始めた弁護士・ポールと妻のコリー。新生活に胸を踊らせる二人だが、住人にはちょっと 変わった人が多い。コリーは、二人の部屋の天窓を通って自分の部屋に出入りする初老のベラスコを見て、一人ぼっちになってしまった母親のエセルと仲良くさ せようというアイデアをひらめく。しかし、ポールはそんなコリーの思いつきが気に入らない。コリーは、ポールの生真面目さに苛立ちを覚える。弁護士として の初仕事を控えた前夜、二人に結婚後初めてのトラブルが…。
公演概要
出演
村上義典
森田晶子
斎藤雅彰(超級市場)
小林なるみ(劇団回帰線)
能登英輔(yhs)
伊能武生
日程
2016年11月9日(水)~14日(月)
全7ステージ
会場
扇谷記念スタジオシアターZOO
スタッフ
脚 本:ニール・サイモン
翻 訳:青井陽治
演 出:弦巻啓太
舞台監督:上田知
照 明:清水洋和(ほりぞんとあーと)
舞台美術:川﨑舞
宣伝美術:本間いずみ(DoubleFountain)
制 作:小室明子(ラボチ)
舞台写真
メッセージ
青井陽治(演出家/翻訳家)
ニール・サイモンは、こんなにも青春の作家だったのか。こんなにも愛を信じる作家だったのか。
1964年の作品だ。僕は高校生。映画を見ても、20代半ばの主人公さえ、とても大人でセクシーに思えた。
「ニューヨークにユダヤ人がいる限り、サイモン喜劇は大入りだ」「演劇史上、もっとも経済的に成功した劇作家」
そんなやっかみをよそに、彼は毎年のようにヒットを産み、80年代には、ブロードウェイで3作同時上演ということもあった。
彼は身辺から題材を採るので、一作ごとに主人公の年齢と年収が上る。僕は19歳から劇場の仕事を始めたが、「これじゃ一生追いつけない」と嘆いた。
ところが、60歳を機に、彼は青春前期にユーターンした。処女作以前の14歳から25歳の自分をモデルにした連作。30代初めの僕は、その翻訳と演出を通じて、やっとサイモン・ワールドに入って行けた、「青春」という鍵穴から。
笑いと涙、そこに透明な抒情が漂い、社会正義が土台を支える。彼は、テネシー・ウィリアムズの系譜を受け継いだのだ。
そのサイモンの到達点から、初期の2作へリンクして行く道すじを確認したい。15年来の僕の願いが、こうして弦巻さんとの共同作業として実現した。
その翻訳の仕上げまで、あと3日という時に、トミー・チューンが東京に来た。昨年、トニー賞の生涯功労賞を受賞したお祝いが、やっと直接に言えた。トミーは『裸足で散歩』の世界初演を演出した、マイク・ニコルズ直伝の言葉を教えてくれた。
「『裸足で散歩』を演出する時、最も重要な課題」
トミーは言った、「その若い演出家に伝えて」。
弦巻さんが、一人で考え、一人で実践してきたことと、ニコルズの教えは、全く矛盾しない。伝えながら、僕はそう確信した。
ニューヨークと札幌が、50年を経て、ひとつの演劇的精神で結ばれる。本物のニール・サイモンが札幌で花開く。期待せずにいられない。
飯塚優子 (レッドベリースタジオ)
アメリカの作品でありながら、日本人でも無理なく楽しめるチャーミングな作品。
弦巻さんの手によってどんな演出がなされるかとても楽しみです。
大野あきひこ(英語劇講師)
僕の本棚にはニール・サイモンの原著、邦訳、DVD、それにCD(アメリカでラジオ放送されたものを商品化したもの)が置いてある。でも4種類すべて揃っているのは『裸足で散歩』だけだ。それだけこの作品が好きだし、英語劇のワークショップでも教材として何度も使ってきた。
とにかくセリフがいいし、日本人にも親しみやすい作品だからだ。
ニール・サイモンの作品はどれも傑作ばかりだけれど、特に初期のコメディは中年の「ダメ人間」を主人公にしたものが多い。職業的にはそれなりに成功しているのだが、己のダメさ加減に振り回されるキャラクターが多いのだ。バツイチ中年男の同居生活を描いた「おかしなニ人」もそうだし、理想の浮気を追い求める「浮気の終着駅」もそう。そこにはある程度年を重ねたアメリカの中年男の生活臭が漂う。
でも『裸足で散歩』は違う。主人公のポールとコリーは新婚夫婦だ。ポールは職業こそ弁護士だが、まだ法廷に立ったことのない新米だ。二人はまだまだ世間の荒波をしらないし、現実社会も知らない。理想の新婚生活しか頭にない二人のぶつかりあいは、だからとても純粋だ。そんな二人のいさかいを、ニール・サイモンは気の利いた会話でテンポよく描く。それは時に卓球のラリーの応酬のようでもある。スマッシュありフェイントありの言葉の応酬だ。
ただ卓球と違うところはケンカの落としどころだ。この描き方もニール・サイモンは実にうまい。実に洒落ている。若い世代は2人に共感できるだろうし、親世代は2人の前途を応援したくなる(まぁ劇中の親世代の未来も気になるのだが)。後味という点でも最高の芝居なのだ。
弦巻さんは自ら『ユー・キャント・ハリー・ラブ!』というウェルメイドコメディが書ける人だ。こういう劇作家は札幌でも珍しい。その人がニール・サイモンを手掛ける。そして札幌の役者さんによるニール・サイモンが観られる。札幌の演劇シーンにとってこれは(冗談でなく)画期的なイベントだ。
上質のエンターティメントを期待しています!
磯田 憲一(君の椅子プロジェクト代表)
子ども時分から、図画や工作が不得意この上もなかった自分が、文化芸術に携わる方たち と、少々のお付き合いをさせていただけるのは、人生の不思議な巡り合わせというほかあり ません。「人生のステージ」では、選んだ職業柄、さまざまな壁に立ち向かう少数派の役割 を演じたことはありますが、「演劇のステージ」には、トンと縁のない人生でした。
そんな私が、東京・下北沢の、心くすぐられるような空気感に酔いながら、今はなき「ロングラン劇場」の扉を開けたのは、もう 30 年以上も前のことだったでしょうか。いたって シンプルな舞台装置の中で軽快に演じられるステージに魅せられ、巨大都市ニューヨーク の片隅に自らも身を置いているような感覚に陥ったものです。その舞台「裸足で散歩」は、 初めて演劇の愉しさを教えてくれた、忘れ難いステージとなりました。何より深く心に残っ たのは、「コリー」の、聡明さと奔放さをないまぜにした魅力だったように思います。
以来、演劇への関心を心に植え込んでくれた舞台として、いつの日か再会できることを願 ってきました。2016 年晩秋、弦巻楽団がその扉を開いてくれると知り、驚き、そして心弾みました。「コリー役を、オーデションで選んでは...」という、門外漢の切なる願いを、弦巻さんがやさしく受け止めてくださり、私が 30 年前に出逢った「コリー」に、森田晶子さんも遭遇することになりました。
この弦巻版『裸足で散歩」が、舞台創造の魅力を放出・拡散し、演劇文化の裾野をさらに 広げる契機となることを心から念じています。
平田修二(演劇プロデューサー/シアターZOO元プロデューサー)
1984年10月1日、下北沢に本多劇場系列の新しい劇場ロングランシアターがオープンしました。文字通り、一つの作品を無期限で上演する劇場でした。その最初の演目に選ばれたのが『裸足で散歩』でした。当時私は、札幌演劇鑑賞協会事務局長で、毎年100本以上の演劇を東京で観ていましたが、劇場のコンセプト、作品のみずみずしさに目を見張りました。西山水木、戸田恵子、ヒロインが変わるたびに観に行きました。
演出は文学座の小林裕。81年に、彼が文学座アトリエで演出した『ショートアイズ』の衝撃にびっくりした私は、アトリエ作品はアトリエ以外では公演しないという文学座に強引にお願いし、翌82年札幌えんかんで公演に成功しました。という経緯から親しくしていただいていた小林裕にまたノックアウトされたのでした。
『裸足で散歩』は、ロングランシアターで翌85年末まで公演され、札幌えんかんでは86年に公演されました。
『ショートアイズ』はニューヨークでは63年初演ですが、80年代の当時、ニール・サイモンはブライトンビーチ三部作を発表していました。彼が生まれ育ったニューヨーク郊外のブラートンビーチを舞台に自身の青春を回想した作品です。その三作品をニューヨーク公演からほとんど間をおかず、85年、87年、89年にパルコ劇場が公演していたのですが、それを演出していたのが、今回新翻訳をした青井陽治さんです。この三部作も本当に素晴らしい舞台でしたが、札幌公演は実現しませんでした。
今から30年前(舞台に描かれているのはさらにその前)、アメリカの若者が恋や仕事や人間関係に悩むその距離のとり方に自由と孤独とを感じ、当時30代だった私や日本人と随分異なり、ちょっとしたカルチャーショックでした。86年にニューヨークに旅行した時に、地下鉄を乗り継いでわざわざブライトンビーチまで行ってみたほどでした。
2001年にシアターZOOが出来た時、隣に公園のある劇場そのものが『裸足で散歩』の舞台のように思え、この作品を公演したいなぁ、と思いながら実現しないでいました。劇場15周年の今年、青井さんも関与した形で公演が行われ、とても嬉しいです。楽しみにしています。